二人三脚のローカルページ
直腸癌闘病記 最終章
          (2005年10月23日の自分に贈る)

 
 <  ・・・遠く富士の山を横切る小さな点が、頭を回すと濃い点、光輝く点、薄い点と 等間隔
で一定の速度で移動し雲間から次々現れてくる、羽田に降りる飛行機の群れ、お尻を精一杯突
き出し出来るだけ水平を保とうとしている。その向こうに飛び立とうとしている飛行機の点点、頭
を限りに高く持ち上げ苦しげに移動している。人生とは、生きるとはなんだ。
叉、明日から時間を追いかけ、追いつき、追い抜かれる生活のなかに身を委ねる、これは自分
が選んだ道。もう少しで頂上に着けるかもしれないし、もう一山超えねばならないかもしれない
ブラインドの道を、もう一頑張りしてみよう。と、おもう。

何時かまた、イルカ達が見える自分に戻れる日を楽しみに。

だんだん、なんとなく、この日記を書く熱が薄れてきた。このあたりが一杯いっぱい
今日で一旦筆を置こうと思う。
続きの時は、再発した時か5年後の完治宣言の時に成るかと思う、頑張れ自分。>
                
                                (2005年10月23日の闘病記リハビリ日記の最後のページより)


 2011年7月10日(日) 
梅雨明け2日目、智津子さんと久しぶりに散歩する。
日差し強いが風涼しく心地よく手酌バーボンの水割りが美味い。
酔いの勢いで最終章に着手するが気が乗らずキーを打つよりグラスを傾ける時間の方が長い。

さて、2005年10月23日の自分に2011年の自分から自身のことを報告。

1)あれから一度も ”イルカ” を見ることは叶いません。
2)放送大学履修生となり本を少し読むようになりました。
3)60歳定年を機に花屋に転職しました。
4)元気です、癌も治り水虫も治まっています。
5)孫が出来ました、可愛いいです。
6)あごひげを生やしました、気にいっています。

以上、気力充実・幸せです。
                                      
6年前に闘病記を中断する時には、再発・完治いずれかの状況下で再開する日記の内容はさぞ
ドラスチックなものになるであろうと考えていましたが、イヤハヤ気が進まないと言うか先延ばし
先延ばししてこの様な状況下で記しているとは夢にも思っていませんでした。
正直最終章をどの様に纏め上げるかという構想が無いまま、今 キーを叩いています。

6年間に渡る経過検診は、最初はひと月毎それが3ヶ月毎になり半年ごとと間隔が広がり主治医
の言葉が柔らかくなり問診時間が短くなるといった状況や自身の体調や性格から再発への不安
は全くなく、何時しか検診の予約日を失念するといった状況下で投薬や治療は一切受けずに
今日に至りました。
そして、2010年9月1日の血液検査・下部内視鏡検査で既に”癌闘病”からの卒業内示を受け、
2011年6月6日の血液検査及び上部内視鏡検査を経て、6月8日の問診で再発兆候なしとの認定
をいただきました。
しかしながら 格段嬉しいと思える心境にはどうもなれません。
2011年3月11日の震災・津波の惨状を目の当たりにして、死ぬことと死を受け入れるということの
意味に揺らぎが生じています。
3月11日の出来事で自身や妻や子や知人が何の前触れもなく死亡した多くの人を思うと 生き行
く時間(余命予想)があらかじめ認識でき死に行く準備が出来る癌と云う運命の、何という優しき
嬉しきことか、と。
だが、しかし。
長期治療や投薬の副作用を経験せずただ腹を切っただけで安直に”癌”を語るな、お前は癌の
本当の怖さが分かっていない、軽々しく分かってようなことを言うな、と、別の自分が 又言う!。

その様な心境を引きづりながら6月8日(水)の検査報告に臨みました。

午前8時30分の外科病棟待合所には大勢の先客がいました。本を読んでいる人、下向き加減
の人、天井を見つめている初老の男性、眼を瞑っている老婆、男・女、etc.。
私の斜め前に若い美しい女性が。
微動だにせず、一点を見据えている端正な鼻のラインを暫く眺めていると 林武と云う洋画家が
描いた「星女嬢」という絵が思い出されてきました。
この人はどの様な訳でこの場にいるのだろうか?
そして彼の人は?あの老婆は?と次々と待合所にいる人々のことが気に掛かってきます、
そうだよな〜ぁ大勢の先客で括れるものではない、それぞれ此処の個人個人に”病気”感が
あり、家族が居てそれぞれの生活があり人生があるのだから。

「優しき運命」 など軽々しく考えるのは健常者の驕りではないか!。

とも・・・。

暫し瞑想。

胃を2/3摘出した術後のある夜、辺り構わず大泣きされたK氏。

持病の糖尿病の為 食道と胃の術後3ヶ月経った時点でも水一滴口に出来ずそれでも気丈に
振舞っておられた I 氏。
深夜に小声で「カアチャン・カアチャン・カアチャン・・・」と寝言で夫人に助けを求めておられまし
たね、私も幾度か唱和させてもらいました。

人工肛門の蓋の操作に手こずり糞尿の匂いを漂わせては「すいません・すいません」とか細き
声で謝られていた歳不詳の X さん、貴方の奥さんは気丈な方でしたね。

当時の同室の面々が懐かしく思い出されます。

Kさんお元気ですか?、初めてお会いした時の様に威勢よく立ち振る舞っておられますか?

I さんお元気ですか。水は、酒は飲めましたか? 千葉の水道の水は美味しいですか?

歳知らずの X さん、楽しく過ごされておられますか?蓋の操作になれましたか?、気強く
もたれていますか?奥さん・娘さんはご健勝ですか。

腸閉塞で緊急搬送され術後間なしで退院された生活保護受給者の親分さんお元気ですか?
貴方の所作は、実に見事でした。
病院食に一切手をつけず、術傷が塞がらない内に病院をでて行かれましたね。
抜糸に来院されましたか?
その後閉塞はおこっていませんか?、あの時痛くなかったのですか?。
私は貴方から”男”のありようをみせていただきました。

そして、手術前日の自分に。

開くことのないガラス窓を隔てて 乳白色の海を見つめている 自分に、報告。

明日おこなわれる手術は大成功無事終わります、手術台に横たわり麻酔がうたれるまでの
君は気丈でなかなか立派でしたょ!。
打ち合わせどおり智津子さんは摘出部位の写真を撮ってくれました。

リンパ節に転移している部位も含め総て摘出され、”癌”の転移は6年後の今も見当たりません
抗癌剤や諸治療も一切受けず今に至っています。
あのぶっきらぼうな I 医師に感謝、彼は私にとって名医”華佗”でありました。

それにもう一人、相棒の智津子さんにも大感謝。
入院時の看護や、長いリハビリ期間中の食事等々実によくしてくれました、大感謝!!。

そうそう主治医が替わりました。
I 医師が転院された為、若い T 医師が主治医となりました。
T 医師は、内視鏡も操作され情報の開示にも積極的で好感が持てそうな医師です。
タイミング的に、私にとっては理想的なセカンド・オピニオンであり、幸運これ又感謝です。

術後は大変でした、麻酔が切れてからの数日間はそれはそれは腹の傷が痛く一人ぼっちになる
夜のなんと恐ろしかったことか、そしてカーテンがほの明るく白み始める夜明けのなんと待ちどう
しかったことか、つくづく自身の弱さを思い知らされましたよ(笑)。

さて2011年の今、今自分は花屋稼業をしています。
前日に花パックをつくり翌日配達する量販店向けの依託販売会社の社員です、零細ゆえ正直
待遇も良くはありませんがこの生業、自分は気にいっています。
君が勤めていた前の会社も良いところでしたね。
リストラ旋風が吹き荒れる最中での入院・闘病ではありましたが後輩のバックアップや先輩諸氏
の尽力で無事復帰し2009年3月の定年を向えるまで職務を務めさせてもらいました、感謝!。
雇用継続の打診もあった事を思うと君は出来の良い社員(会社にとって稼げる)であったのです
ね(笑)。
しかしながら2009年の春、自分は130°回転する気分で花屋に転職することに決めました。
年収減や、智津子さんの負担も省みずに、それは、やはり、”癌”を患った経験が多いに作用
したのでしょうか?、
そう云う意味でも”癌”に向き合ったことは君にとって大きな出来事であったのですね!。

さてさて、リハビリそして復帰はそれはそれは大変でしたよ。

先ず体力、いゃ〜しんどかった!!。
食べたものの吸収力が低下していたのかよくエネルギー切れを起こしました、復帰数週間は
キッカッタ。
帰宅時の駅から家までのなんと遠かったことか。

次に排便、これもキツカッタ。
出社当初は駅までの道中で2回も公衆便所に立ち寄ることもしばしば。それも出社するまで
数度もトイレに行き周到準備した上でのこと、お陰で早寝早起きになりましたよ。
食後の腸の動きで便意を催す、このあたり前のことが直腸を12センチほど切除した者にとっ
てなんと云う苦痛と苦行を与えるものか。
営業職故の得意先周りでの高速道路での渋滞や接待での飲食時での不意の便意等々、今
思い出しても脂汗ものでした、よく頑張れたものです。
そうそう、君に助言。
大腸癌からの復帰者に強い味方、それはパンツに生理パッドを貼っておくこと。
これはお勧め、急場凌ぎにいかに役立ったことか、ゆめ男のプライドがどうのとか云って拒ん
では駄目だょ!!。
生理パッドが不要になり排便リズムも改善されて数年経った今 振り返ってみると、主治医
が驚くほどの排便機能の回復はこの時の頑張りの賜物であったのかもしれませんね。

さて、2005年の君へ。

君は、今以上の君として2011年を闊歩しています。
それは、君が君自身のやるべき事をして、なさねば成らないことをした結果だからでしょう。
今一度君に伝えましょう、

「君は、癌を克服し6年後に君が知らない世界に身を委ね精一杯頑張っている」 と。

待合室での僅かな時間に。

「星女嬢」の作者 林 武氏の瞳に吸い寄せられるように暫しの微睡み。
夢中のなかで 乳白色の海を眺めているかっての自分に遭遇、厚いガラス窓の向うに居る
自分に向かい6年間の顛末を話かけてみました。
不思議なことに、一言一言毎に声が小さくなり 身体もズンズン小さくなっていきました。
やがて声をかぎりに叫んでもガラス窓の向うの自分には気づいてもらえずいたずらに時間
が過ぎ行きました。

息苦しく暑い。

うす曇の乳白色の大気に包まれながら君に伝えられないもどかしさが募っていきます。
さてさて、どのくらい過ぎた頃でしょうか朦朧とした意識下で微かに聞き覚えのある声が、

 「オイオイ「蜂君、好き好んで入る所ではではないんだよ」
 と、・・・。


最終章を終わるにあたり。

何杯飲んだのでしょう、だいぶ酔いがまわってきました。
「”癌”を経験したら人生感はかわる」と聞くことがあります、私も少しだけ価値基準がかわり
ました。
なぜ人生感などに変化が生じるのでしょうか?、私はかんがえました。
そして、結論。
療養時に同じ場所に長時間留まるからではないかと。
赤ちゃん時代を除き同一磁場上に長く居ることはそう滅多にはありません。
その様な特別な環境下でしかもタップリある時間とくれば多くの人は心が解放され想像し
思考し眠ることでしょう、私も2005年7月と云う時間はまさにその様な時空でした。

後何十年かして私の運動機能が衰え、同一場所で余生を過ごすことになった時に、そして
頭脳がほんの少し能力が保たれていたとしたら、拙い文を紡ぎつむぎし2005年の体験を
短編にしてみたいと考えています。
そして題名は、「イルカのみえた日々」としたいと思っています。

さてさて、その日を楽しみに。

                                     さて、もう一歩・・・



2011年7月 居間にて

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